ベルリン・フィル団員情報

(1999年2月4日更新)

1999年1月の新情報 (公式ホームページによる)

2.Violinen

あの白髭でお馴染みのヴェストファールの名前が消えた模様。 1930年生まれなので、65歳定年はとっくに過ぎているのだが、特別契約のような形で、最近は後ろの方で弾いていた。 空席も埋まったので、晴れて正式退団ということか。 なお、ウルズラ・ショホ(Ursula Schoch)とヨハネス・ヴァッツェル(Johannes Watzel)の2名が新たに加入。

Kontrabass

空席になっていた第1ソロに、エスコ・ライネ(Esko Laine)が内部から昇格。 ライネは1961年、ヘルシンキ生まれ(フィンランド人?)。 BPOには1986年に入団。

木管楽器

フルートでは、ミヒャエル・ハーゼル(Michael Hasel)が復帰。 1959年生まれで、1983年からBPOには入団していたが、 マンハイム音大教授への就任に伴い、1994年頃から、退団していた。 ただし、その後も、木管アンサンブルのリーダーとしては活躍しており、エキストラとして昨秋の日本公演などにも参加はしていた。

クラリネットは、マルコ・トーマスが昨秋の日本公演直前の投票で不採用になったようで、ソロが1人空席になっている。 なお、昨秋の日本公演でのブルックナー5番のクラリネットのトップは、エキストラが演奏していた模様。

Trompete

コンラーディン・グロート(Konradin Groth)が退団した模様。 1947年、ベルリン生まれなので、今年52歳。 1974年入団で、ほぼ25年間、ソロとして活躍してきたことになる。 昨夏から、Das Orchester 誌で、ソロ・トランペットの募集をずっとしていたので、そろそろソロは降りるのかなとは思っていたが、ソロのまま退団とはちょっと驚き。 なお、後任はまだ未定。

Vorschau 1998/99 にみる団員の異動

1.Violinen

第1コンサートマスター(1.Konzertmeister)のライナー・クスマウル(Prof.Rainer Kussmaul)が退団した模様である。 98年4月のイースター音楽祭のプログラムの団員名簿でも、既に名前が消えており、97/98シーズン途中で退団したものと思われる(ザルツブルクでのコンサートにも出演していなかった)。 もっとも、98年春のヨーロッパ旅行で「ハフナー・セレナーデ」のソリストとして出演したり、98/99シーズンも室内楽のメンバーとしては登場するようなので、BPOとの関係は今後とも続くものと思われる。 シュピーラーの後任にドイツ人コンマスを募集した際、クスマウルとブラッハーが最後まで接戦で残り、結局、この二人が一緒に入団し、93/94シーズンから第1コンマスが4人になったという話はよく知られている。 このシーズンのアバド指揮の「悲愴」がメインの開幕コンサートでは、クスマウルがコンマスで、ベルリンの聴衆から暖かい拍手で迎えられていたことが思い出される。 教授として勤めていた音大から長期休暇をもらってBPOに入団したとのことのようなので、また音大に戻るということであろうか。 BPOもまた第1コンマス3人という体制に戻るのであろう。

2.Violinen

長年第2ヴァイオリンのトップを勤めていたハンス=ヨアヒム・ヴェストファール(Hanns-Joachim Westphal)は、1930年ベルリン生まれで、定年後の96/97年と97/98年の Vorschau からは名前が消えているが、実際には特別契約団員のような形で演奏に参加していた(イースター音楽祭の団員名簿には名前が載っている)。 あの白髭を生やした趣きのある奏者である。 入団は1951年で、フルトヴェングラー時代から在籍した団員では現在残る最後の一人である。 このヴェストファールが 98/99シーズンの Vorschau では、メンバー表に名前が復活しているのがうれしい。 もちろん、97/98シーズンからはトップではないので、後ろの方で弾いてはいるが、若返る一方のBPOの中にあって、こういう味わいのある人が弾き続けてくれるのは大歓迎。 団員からも人望が厚い、仙人のような人なのであろうか。

Schlagzeug

打楽器のヤン・シュリヒテ(Jan Schlichte) が 、1933年生まれ1962年入団のレンベンス(Hans-Dieter Lembens)の後任として入団。 フランクフルト生まれの若手である。 98年春のマーラー3番では、セカンド・ティンパニを叩いていた。 終楽章の最後の二人で一緒にティンパニを叩く個所、シュリヒテが指揮者でなく、ファーストのゼーガースの方ばかり見て叩いていたのが印象に残っている。 97年ジルヴェスターの「カルメン」で、シンバルのシュルツの右で大太鼓を叩いているのがシュリヒテである。 なかなか素朴な感じの好感が持てる人である。

Vorschau 1997/98 にみる団員の異動

1.Violinen

コンマス陣に変更はない。トゥッティで何人か辞めた人がいるが、そのうち、ベルント・ゲラーマンがミュンヘン・フィルのインテンダントとして、ヘルマン・メニングハウスがバイエルン放送響のビオラのトップとして、それぞれ移籍したのが注目される。後任の新人ヴァイオリン奏者として、 日本人と思われるカトヴァ・マチダ=ヴェレン(Katowa Machida-Wellen)という名前が見える。 97年11月に中継された定期演奏会(シベリウス2番がメイン)で、コンマスのライナー・ゾンネのすぐ横で弾いていた女性がこの人ではないかと思われる。
2.Violinen
第1シュティムフューラー(1.Stimmführer)という名のトップ奏者に、アダム・タウビッツ(Adam Taubitz)が就任。白髭のヴェストファールの後任。
Kontrabässe
95年に退団したツェペリッツの後任の第1ソロとして入団していた若いヤンネ・ザクサラ(Janne Saksala)が、ソロを降りてトゥッティの団員に。現在は後ろの方でのびのびと弾いているように見える。
Flöten
ソロに変更はないが、マルセラ・クラッツ(Marcella Kratz)とイェルカ・ヴェーバー(Jelka Weber)が新しく入団。 クラッツはベルリン・ドイツ交響楽団から移籍して97年1月から既に入団しており、マタイ受難曲でも活躍していた。 98年5月のストックホルムからの中継では、3番を吹いている女性である。
Klarinetten
ソロにマルコ・トーマス(Marco Thomas)が就任。96/97年シーズンの途中から入団したものと思われ、 97年3月のイースター音楽祭の団員名簿にも記載がある。 ただしこの年のザルツブルクでの出演はなかった。
Fagotte
カラヤン時代にはピースクと並んでソロを務めていた、1934年生まれ1955年入団のマンフレート・ブラウン(Manfred Braun)が退団。 大阪フェスティヴァルホールにブラームス4番を演奏しているカラヤン/BPOの写真が飾ってあるが、ファゴットのトップにブラウンの顔が見える。 この写真を見る度に、生で聞いてみたかったと、いつも思う。
Hörner
1931年生まれ1964年入団のゲルト・ザイフェルト(Gerd Seifert)が定年を迎え(日本公演で「復活」を演奏した96年10月17日が65歳の誕生日)、96/97シーズン途中で退団したようである。 97年3月のイースター音楽祭の団員名簿からも名前が消えており、出演していなかった。 後任としてマルクス・マスクニィティ(Markus Maskuniitty)が入団。 マーラー3番などで活躍している。 ハウプトマンも97/98シーズンからソロを降りて、最近は4番を吹いているようである。
Pauken
1930年生まれ1970年入団のオスヴァルト・フォーグラー(Oswald Vogler)が退団し、ヴィーラント・ヴェルツェル(Wieland Welzel)が入団。まだ20代の若手。 ハンブルクで勉強し、シュヴェーリンのオペラハウスで演奏していたという。 長身でフォームはきれいな人。 コンセルトヘボウの若手のコムストに似ているような印象を受けた。 名門オケのティンパニ奏者には、長身とフォームの美しさが求められるのであろうか。

団員名鑑

第1回 : オスヴァルト・フォーグラー(Oswald Vogler 1930〜)

第2回 : 歴代打楽器奏者


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