1999年4月4日(日)

さて、イースター音楽祭の後半ツィクルスも、半分が過ぎ、あと二晩。 何はともあれ、この日が、いわゆるイースター(日曜)である。 まず、昨日、断念したホーエンザルツブルク城登りである。 途中、イースターのミサをやっているドームに立ち寄る。 ハイドンの「太鼓ミサ」をはさみながら進行していたようだが、このあと11時からコンサートもあるので、早々に退散。 まだ人も少ないので、ケーブルカーに乗車。 城内の見学はしなかったが、まだ観光客も少なく、城からの眺望をゆっくり楽しむことができた。 幸い、この日も天気がよく、市内とは反対のアニフ方向には、ウンタースベルクの雄姿もはっきり見えたのだった。 よーし、午後はウンタースベルクの山頂まで、ロープウェイで登るぞという、前々からの懸案に挑む決心をしたのだった。

ということで、この日の午前11時からは、祝祭大劇場でのマーラーユーゲントオーケストラ。 チケットは当日券で手に入れたが、2階最後列で 200シリング(約2000円)という値段であった。

Orchesterkonzert (4. April 11:00 Uhr) Gustav Mahler Jugendorchester MAHLER Symphonie Nr.6 a-moll Dirigent Franz Welser-Möst

このオケの特徴は、何といっても、弦が非常に多いことである。 ファーストが20人ぐらいいて、チェロ14人、コントラバス12人である。 しかも弦の水準はなかり高く、弦高管低?といった趣きもする(サイトウキネンみたい?)。 その意味では、第3楽章が一番よかったように思う。 オケのレベルが高いとはいっても、やはり若さからか、トランペットやティンパニは、やはり力が入っているのか、フォルテだとどうしても音が厚めで重くなるといったところが難点であろうか。 まあ、連日、BPOを聞いているから、一層、そう感じるのではあるが。 ウェルザー=メストの指揮は、全体に早めのテンポなので、オケのヤング・パワーともあいまって、 全体的にイケイケというった雰囲気の演奏だったような印象が残っている。 それから、ハンマーは巨大なものだったような。 いつもながら、このオケの演奏後、客席は大沸きである。 手拍子による拍手など、思い浮かべていただきたい。

さて、このあとは、ウンタースベルク行きの決行である。 55番の路線バスで行けるようなので、ミラベル庭園前のバス停の時刻表を調べてみる。 ウンタースベルクへ行くバスは1時間に1本あることがわかり、次は14時12分発。 途中で人もたくさん乗ってきたが、大半の人はヘルブルン宮殿前で降りていった。 アニフを過ぎて、いよいよロープウェイ駅である。 ロープウェイは、確か30分に1本くらいの運行だったが、15時の便で上に行き、16時の便で下に降りてきた(帰りのバスが16時20分であることを確認したので)。 下から見ると険しいウンタースベルクも、ロープウェイだと一気に山頂近くまで登れるのだから、すごいものである。 カラヤンのアニフ邸のすぐうしろに見える山である。 カラヤン・ファンなら、一度は登っておいてもいい山であろう(^_^;)。 ロープウェイの往復運賃は、215シリング(約2150円)。 山頂にはまだ雪も残っていた。 空は快晴ではなかったが、下界を展望するにはまったく問題なく、白色のホーエンザルツブルク城を中心とする市内の眺めなど、何度見ても見飽きることのない素晴らしさ。 ふもとにはカラヤンの家も見えるはずで、あれこれ見当をつけたのだが、確証は持てなかったので、翌日の朝、またバスでアニフまで来て、カラヤンの家を確認することにした。 この55番バスに乗ると、市内から簡単にアニフまで来れることがわかったのも収穫だった(約20分)。 95年に行ったときは、友人とタクシーでアニフを往復していたので。 なお、バス料金は、アニフで降りても、ロープウェイ駅で降りても、片道20シリング(約200円)。

市内に戻り、ホテルで着替えをして、またコンサートである。 今晩は、ザンデルリングの指揮。

Orchesterkonzert (4. April 18:30 Uhr) Berliner Philharmonisches Orchester SCHUMANN Klavierkonzert a-moll op.54 SCHOSTAKOWITSCH Symphonie Nr.15 A-Dur op.141 Solist Radu Lupu Dirigent Kurt Sanderling

前半のシューマンのピアノ協奏曲。 髭もじゃもじゃのルプーの演奏、どうも雑に弾いているような印象しか受けない。 別にミスタッチとかはないのだが、かなり期待外れ。うーむ。 若い頃のデリカシーはどうしたのだろう。 どうせなら、ベルリンでやったブレンデルで聞いてみたかったもの。 弦は、12,10,10,8,6 という少な目の編成ではあるが、よく鳴っていた。 管では、オーボエのマイヤーがばっちり決めていたのが印象に残った。

後半は、ザンデルリングお得意のショスタコーヴィチの交響曲第15番。 弦の編成はファーストが16人の通常の編成に戻る。 この日のコンマスは安永さん。 コントラバスは、後半になってシュトルが登場したが、貫禄といった感じ。 木管のトップは、フルートがブラウ、オーボエがマイヤー、クラが若いエキストラ、ファゴットがダミアーノ。 金管のトップは、ホルンがドーア、トランペットがクレッツァー、トロンボーンがアルント。 言うまでもなく、非常に水準の高い演奏ではあったが、特に前半は、オケの全奏にしても、ただ巧みに鳴ってるだけという印象。 ショスタコーヴィチの交響曲の演奏としては、果たしてどうなんだろうという疑問も生じたが、まあ、文句なくよかったのは、やはり第4楽章であろう。 あの美しい弦の主題の弱音の見事さは、まさに圧巻。 この曲の演奏で、最終楽章のテンポが一番遅い指揮者がザンデルリングではないかと思う。 そのためか、ワーグナーのモティーフの引用も、他の指揮者に比べ、ワーグナー的に重厚に響き、より一層含みを増しているのかも。

オーボエのマイヤーが、この曲でも光っていたが、打楽器が活躍する点でも、うれしい曲である(^_^)。 ティンパニのヴェルツェルの他に、7名の打楽器奏者。 4人の正規メンバー(ミュラー、シュルツ、シンドルベック、シュリヒテ)の他、既に退団したレンベンスが気合いの入った大太鼓で大活躍。 2名のエキストラのうち一人が女性で(99年のジルヴェスターで「アレクサンドル・ネフスキー」の鐘など叩いていた人)、冒頭のグロッケン(鉄琴)など、なかなか感心。 最後のあの独特なリズムを、スネアとカスタネットと一緒に叩いていたシンドルベックもばっちり。 木琴とヴィブラフォンを担当したシュルツは、演奏後、周囲からねぎらいを受けていた。 というように、個々のパートはよかったのだが、 ザンデルリングの第15交響曲というと、97年春にコンセルトヘボウで聞いたことがあり、こちらでの演奏に軍配を上げたい気がするのである。 ショスタコーヴィチの交響曲との相性のよさという点でも、BPOよりコンセルトヘボウの方がいいのではなかろうか。 ホールの違いもあるが、ザンデルリングも、コンセルトヘボウとの方がのびのびやっていたような気がするし、私自身の満足度も高かったように思う。

何はともあれ、多少の不満が残ったとはいえ、この日も最後でBPOの素晴らしさを堪能したわけではある。 イースター音楽祭のBPOのコンサート、これで3つが終わり、あとは翌日の「トリスタン」を残すのみ。 この「トリスタン」のために、97年から音楽祭の会員になって通い続けてきた私としては、この「トリスタン」を聞くことがここ数年の人生の最大の目標。 大げさに言えば、人生における一つの大きな節目なのである。 そこで、翌日に備え、体力と栄養をつけておこうと(^_^)、中華料理店「ハッピー・チャイニーズ」で一人で食事。 私の料理が出て食べ始めようとすると、日本人の団体の方が十数名でやってきて、この中に、ヴィオラの土屋さんの姿も。 席が離れていたので、どういう団体なのか、まったく不明だったが、翌日の午前中、祝祭大劇場のロビーでの記者会見で、この時のグループの方を目にしたので、清水建設や日本テレビの関係者の方々だったのかもしれない。

(2000年 3月22日)

プログラム一覧   4月1日   4月2日   4月3日   4月4日   4月5日