過去のブレッター情報

Philharmonische Blätter 96/97 Heft 4 (April 1997)より

ミュンヘンフィルのインテンダントにゲラ−マンが就任

ベルント・ゲラーマン(1942〜)は、1971年から第1ヴァイオリン奏者として在籍。この50代後半になっての、突然のミュンヘンフィルのインテンダントへの就任という話にも驚かされるが、ベルリンフィルでも1983〜95年の間、メディアとの交渉の仕事を担当していた。実務面でも相当に造詣が深いからこそできた転身といえるかもしれない。また、Heft 3(Feburuar 1997)によれば、もともとミュンヘン生まれで、学生時代にカール・リヒターのバッハ管弦楽団でも演奏経験を持ち、1966年からベルリンフィル入団までは、ゲルトナープラッツ劇場のオケのコンサートマスターを務めていたとのこと。

Philharmonische Blätter 97/98 Heft 1(September 1997) より

ペーター・ギルト死去

1997年7月15日、闘病の末、フランクフルトで死去。55歳。ギルト(1942〜1997)は、1978〜84年、ベルリンフィルのインテンダントを務め、ザビーネ・マイヤー事件の際に、カラヤンとオケとの関係を悪化させたことで知られる。その後は、デュッセルドルフ交響楽団のインテンダント(1985〜90)や、ダルムシュタット歌劇場の首脳(1991〜96)として活躍していた。

ヘルマン・メニングハウスの移籍

メニングハウス(1963〜)は、1986年以来、第1ヴァイオリン奏者として在籍していたが、今シーズンよりバイエルン放送交響楽団のソロ・ビオラ奏者として転出した。今のベルリンフィルでヴァイオリンを弾くより、バイエルン放送響でビオラの主席でという気持ちも理解できなくはないか。

ゲルトルーデ・ロスバッハーの退団

ロスバッハー(1961〜)は、ウィーン出身のまだ若い女性ビオラ奏者で、1987年から在籍していた。ソロ活動に専念するため退団とのこと。

Philharmonische Blätter 97/98 Heft 2(Dezember 1997) より

ゲルノート・シュルツの指揮活動

先日のジルヴェスターで、「カルメン」のシンバルなどを叩いていた打楽器奏者のシュルツ(1952〜)が、97年12月21日と98年1月25日、ハンブルク交響楽団の青少年コンサートを指揮する。また、その間に、台湾の国立管弦楽団をも指揮し、このタイペイでは、バーンスタインの作品が演奏される。シュルツは、1988年夏のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭で、バースタインのアシスタントを務めている。なおEMIのバーンスタインのこの音楽祭での「春の祭典」のリハーサルを収めたLDで、打楽器奏者の後ろで、いろいろアドヴァイスを与えているシュルツの姿が確認できた。ハイドン・アンサンブル・ベルリンを指揮するシェレンベルガーといい、最近は団員の指揮活動が目立つようである。

Philharmonische Blätter 97/98 Heft 3(Januar 1998) より

ラトル指揮による注目のベリオ「シンフォニア」

この演奏の模様は日本でも生中継されるので(2月22日)、ここでも概要をご紹介しておきます。後半の曲は、シーズン当初に予定されていたブルックナー7番からマーラー4番へ変更されたようですが、この変更は妥当といえるでしょう。 ベリオの「シンフォニア」第3部では、マーラー2番「復活」の第3楽章が下敷きとして使われており、マーラーと組み合わせることには関連性が見出せるからです。 それはこの記事でも触れられています。 ベルリン・フィルが「シンフォニア」を初めて演奏したのは、1971年1月17日、 指揮はエルネスト・ブール、ヴォーカルはシングル・シンガーズによるもので、 今回はそれ以来の演奏になるようです。 今回のヴォーカルは、イギリスの団体、エレクトリック・フェニックスで、 既にシャイイ(コンセルトヘボウ)、ビシュコフ(パリ管)とも演奏経験を持つそうです。 シャイイの演奏はCDにもなっていて、私も国内盤を持っているのですが、 この団体についての言及はありません。1978年5月にデビューして以来、 実験的なヴォーカルグループそてしての名声を次第に獲得し、 ベリオ、ケージ、プスールなどの作曲家と共同作業を行なってきた団体とのこと。 (なお、この演奏会、2月19〜21日は定期演奏会、放送される22日は青少年コンサート (Jugendkonzert) とのこと。会場の雰囲気が普段と違うかどうかも眼目になるかと。)

テンシュテット追悼

クラウス・テンシュテット (1926〜1998) が1月12日に71歳で亡くなったことは、 日本でも報道されましたが、この冊子でも触れられています。 ベルリン・フィルとの初共演は1977年4月、ヒンデミットのピアノ協奏曲とブルックナー第2交響曲。 最後の演奏となったのは、1991年5月、シャウシュピールハウスでのマーラー第6交響曲の圧倒的名演だったとのこと。こうした録音が、何とか日の目を見ないものか。 ちなみに、テンシュテットの指揮は、その後も何度か予告はされたものの、 いつもキャンセルになったようです。私も1993年9月にブルックナー8番の演奏を楽しみにベルリンへ出かけたら、演奏会の2週間程前の時点で、既にウェルザー=メストに変更(曲目は同じ)になっており、チケットは楽々購入することが出来ました。 ところが、演奏会当日またベルリンへ戻ってみると、再度、指揮者が変更され、 ウルフ・シルマー指揮で、曲目もベートーヴェン4番とシュトラウス「家庭交響曲」 に変更されていたという思い出があります。客席はガラガラでした。 (2月12日)

BPO情報に戻る