さて先日、ウィーンで、長年BPOのインテンダントをしていたヴォルフガング・シュトレーゼマンの本を3冊(ペーパーバックの文庫本)買ってきました。 高名な政治家グスタフ・シュトレーゼマン(第1次大戦後、外相・首相として活躍したと、『独和大辞典』にも名前が載っている)の息子として1904年に生まれ、1959〜78年の約20年間、BPOのインテンダントを務めた人。 例の騒動の時期、事態を収拾するため、1984〜86年にも再度インテンダントに就任。 こうした人の書いた本だけに、興味深い内容が盛り込まれているようです。
よく知られているように、創立100周年、及びそれに続くアメリカツアーといった、1982年の一連の記念演奏会のすぐあと、カラヤンとオケとの間で衝突が起こった。 1984年になってやっとかたがつき、新たな出発を見るに至ったが、誰もが今後も関係を持続してくれることを望んでいる。 この危機の時代についての報告は、ここでは触れることはできない。 ただ、この本の「カラヤン:音楽と解釈」の章には、補足が必要である。そこでは最後の方で次のように書かれている。 「カラヤンは最後の円熟期の真っ只中にある。これは彼の最近(70年代終わりから80年代初め)の演奏会が雄弁に証明している......」 これは今日に至るまで事実である。ほとんどすべてのカラヤンの演奏会(特に最近のアメリカツアー)は、忘れることのできない世紀の一瞬(Sternstunden)であった。 それが頂点に達したのは、1984年ベルリン芸術週間での「ロ短調ミサ曲」の2回の荘厳な演奏であった。 また、これまでまだカラヤンのレパートリーにはなかった2つの作品にも言及しなければならない。 一つはマーラーの第9交響曲の卓越した演奏。 その完成度と感情の浸透において、ほとんど凌駕されることのない演奏芸術そのものの頂点と言ってもいい。 もう一つはシュトラウスの「アルプス交響曲」の模範的な演奏。 作曲家自身は評価していたものの、一般にはあまり価値を認められていなかったこの作品に対して、再発見と再評価をもたらしたといえる演奏であった。 このシュトラウスの最後の交響曲のカラヤンのプローベに居合わせた者は、ほとんど75歳近い指揮者の若々しい情熱と同時に、精神の深みにまで達した巨大なスコアへの理解とを、感謝の念とともに思い出すことであろう。まあ、どうでもいいのですが、邦訳は「カラヤンはいままさに円熟期のまっただなかにおり、彼のごく若いころの演奏会はそれを雄弁に物語っているし......」(239頁)と、いささか理解に苦しむ(^_^)表現ではあります。 という話はさておき、マーラー9番、「アルペン」の2曲が、日本で演奏されなかったのは、日本が馬鹿にされていたのか、招聘元が阿呆だったのか、理由はよくわからないところですが、残念なことだったと思っています。 ところで、最近のアバドのインタビューで、「伝説的なサウンドがオケの若返りによって損なわれなかったか?」という質問があって、アバド自身はそれを求めているとは思われないものの、「今でもちゃんと出せるのだ」と豪語しています。 「伝説的なサウンド」と苦しまぎれに訳した表現の原語は、”der legendäre edle Klang”、直訳すれば「伝説的な高貴な響き」。 これが具体的に何をさすのかは明快ではありませんが、常識的に考えれば、後期ロマン派の曲を演奏するときの伝統的な厚みのある音色でしょうか。 そういった意味では、昨年のメータの「英雄の生涯」、今年のヤンソンスの「アルペン」は、まさに伝説的なサウンドを彷彿させる演奏だったといって過言はないでしょう。 それにしても、最近のベルリン・フィルのファンで、アバドが指揮するときの透明ではあるが厚みのないサウンドに惚れ込んでいる人、従来の伝統的な厚みのあるサウンドを求め続けている人、どちらの方が多いのでしょうか(私にもっと web の技術があれば、アンケートなんかも簡単にできるのでしょうけど)。 まあ、私の場合は、「ボリス」などでは、アバドの功績を認めつつも、できれば伝統的なサウンドも守り続けてもらいたいといったところ(頭が古いのかもしれませんが)。 何はともあれ、ザルツブルクでのヤンソンスの「アルペン」の印象についても、近々書きたいとは思っています。 いきなり、音楽祭の報告を全部まとめるという訳にもいかないので (^_^;)(_ _)
私はこの曲がとにかく大好きなので、シュルツの大太鼓がクレッシェンドしたあと、日の出がシンドルベックのシンバル(ちょっと元気が良すぎる?)とともに始まり、ゼーガースのティンパニが炸裂すると、もう頭の中は真っ白(^_^;)。 冷静なコメントは書けそうにないのですが、その後の薮を抜けて、滝に至る場面なんか、もう見事という他なく、ため息の連続。 もっとも、山頂の前の危険な瞬間のトランペットのソロは、難所のようで、グロートもややミスってましたが、こんなのはささい。 この辺りから山頂への盛り上がりは、ヤンソンスのゆったりしたテンポにのって、ベルリン・フィルの面目躍如といった演奏。 セーガースのティンパニも快調そのもので、パワー全開の8本のホルンに対抗すべく、例によって両手を同時に使って叩きまくってる感じで、やりたい放題(^_^)。 このあと、嵐という見せ場もやってきますが、これがまた、凄いのなんの。 そして最大音量の個所の雷のドンナーマシンですが、これはキーボードを使ってシンセサイザーの人工音で処理してました。 もちろん、ちゃんと雷の音がしていたので、別に鑑賞上、まったく不満はありません。 そのあとのオルガンは、ザルツブルクでは電子オルガンでしたが、これも不満を覚えるものではありませんでした。 最後の夜の弱音、これもベルリン・フィルならではのもの。 もう、これで終わっちゃうの、と名残を惜しみつつ全曲の終了となってしまいました。 実は、この曲をベルリン・フィルの生演奏で聞くことが長年の夢だったのですが、実際に目の前でそれが繰り広げられると、何か、ちょっとあっけないものだなぁという気もしました。
弦楽器の人数は、アバドのマーラーの時などは、第1ヴァイオリンからコントラバスまで18〜10人と増大しますが、この「アルペン」は通常の16〜8人、それでもこれだけ豊かで厚みのある音が出るのですから(アバドのマーラー以上に)、オケの威力は、さすがにまだまだ健在という感じを受けました。 コンマスは安永さんで、巧みにオケをリードしてました。 木管は、パユ、シェレンベルガー、フックス、シュヴァイゲルト、金管はドーア、グロート、ゲスリングがそれぞれトップを務めるという布陣でした。 実は、前半にショーソンの「愛と海の詩」も演奏されたのですが(前日にはウィーンで「パルジファル」のクンドリーを歌ったばかりのマイアーが、赤いドレスで清澄な歌を聴かせてくれた)、 弦楽器の美しさ(特に安永さんとチェロのクヴァント)に感銘は受けたものの、後半の「アルペン」が気になって(ステージには空いた椅子がいっぱい並んでいるし ^_^)、落ち着いた気持ちで聞けなかったのは、やはりまだまだ修行が足りないのか(^_^;)。 ちなみに、ホルンのドーア、トランペットのグロートは「アルペン」まで温存状態で(ショーソンでは、ホルンは確かイェツィールスキー、トランペットはクレッツァーがトップ)、やはりこの2つの金管の奏者にとっては、「アルペン」は難曲なのでしょう。 前日の昼にアーノンクールの「英雄」の公開プローベがあり(これはまあ、ベルリン・フィルを学生オケのように使って分奏させながら曲の解説をしたり、いろんな意味で凄いものがありましたが、これについては、いずれまた)、それの始まる前、ステージ上でのオケの音出しで、ドーアとグロートは翌日の「アルペン」のフレーズばかりさらっていました。もうこの時から、「アルペン」に対する期待が高まっていたのでした(^_^)。
さて、この6月のマゼールのBPO登場。 このオケとは1959年以来の間柄とはいえ、ここ最近は指揮していなくて(アバド就任直後、キャンセルしたとかいう話もあったような)、9年ぶりの復帰。 昨日届いた「ブレッター」5号には、マゼールのインタビューも載っていました。 6月の演奏会のプログラムは、5日(大統領慈善演奏会)が自作のチェロ協奏曲とマーラー5番、9〜11日(定期)が「ツァラトゥストラ」とワーグナー管弦楽曲集。 そういえば、ワーグナーは何故か、CDが既に出たのですよね(買うべきかどうか迷うところ ^_^;)。 バレンボイムへの対抗意識もあるのでしょうか(^_^)
それから「ブレッター」最新号によると、この6月26日でアバドが65歳の誕生日を迎えるそうです。 当日、現地ではテレビでスペシャル番組も放送されるようですが、日本ではやらないのでしょうね。 ファンの方は、連帯して、NHKあたりに電子メールなどによる署名活動?で、放映要求をしてみるとか(そういったことがオンラインでできる様になると面白いとは思いますが)。 スポーツにばかり無駄使いするなと抗議して、受信料不払い運動を展開するとか(だいたい、ヤンソンスもマゼールも黙殺する無神経さ)。
あと、ワーグナー雑感もアップしました。 来年の「トリスタン」にこだわる理由も少々書いてあります(^_^;)
シンドルベックのスネアで開始された「ボレロ」。 最初の方のソロは、名手のオンパレード(^_^)。 フルート(パユ)、クラリネット(フックス)、ファゴット(シュヴァイゲルト)、Esクラリネット?(ザイファルト)、オーボエダモーレ?(ヴィットマン)、トランペット(クレッツァー)、テナーサックス(エキストラ?)、ソプラノサックス(プライス)、ホルン(ドーア)、トロンボーン(アルント)、、、、、いやはや壮観でしたね。 そのうち、一番驚いたのは、ソプラノサックスのプライス。サックスは二人ともエキストラかと思っていたら、ソプラノはクラリネット(主にバスクラ担当)のマンフレート・プライスが演奏。 彼は、昨年のザルツブルクでのコントラプンクテでの「ピエロ・リュネーロ」で抜群の(ユーモアも溢れる)演奏をしてくれたので、注目していたのですが、「ボレロ」でもここまでやってくれるとは、このオケの底力を感じますね(^_^)。
弦楽器のトップ陣は以下の通り。
ファースト | セカンド | ヴィオラ | チェロ | バス |
---|---|---|---|---|
スタブラヴァ/安永 | ゲルハルト | レーザ | クヴァント | ヴァッツェル |
打楽器は、スネアのセカンドがシュルツだと思うのですが、だいぶ老けた印象。 ティンパニはゼーガース(最後の方の高音のEを2釜両手で叩くのが彼らしい?)。 大太鼓がレンベンス(引退直前の最後の勇姿?)、シンバルがミュラー、銅鑼は画面に出てこなかったので不詳。
次の「カルメン」。 アラゴネーズのタンバリン、指揮者正面で木管群の前の「ボレロ」でのスネア位置のままで、シュルツがタンバンリンを叩いていたのが印象的(カラヤンの「アルルの女」の映像を思い起こさせる)。 マイアーのオーボエ・ソロもなかなかの出来。 間奏曲でのフルート(パユ)とハープ(ラングラメ)のソロは、まるで4月末の定期演奏会を彷彿(^_^)。 最後の前奏曲でシンバルを叩いていたのが、今度レンベンスの後任で入団するシュリヒテ。 私はシンドルベックのシンバルよりも落ち着いていて好感を持ちましたが(^_^)。
次の「アランフェス協奏曲」、オケにとっても滅多にない演奏の機会なのでしょうが、弦楽器もなかなか見事に鳴らしていて、それなりの演奏に仕上がっていたのは、さすがというべきか。 第2楽章の有名なコールアングレ?のソロ、演奏者の顔が全然写らなかったのは困ったもんですが、 若手の名手ヴォレンヴェーバーのようです。
ヒナステラで始まった後半のラテン音楽。 演奏については、他の団体の演奏をほとんど知らないので、私には評価する能力はないのですが、楽しそうにかつ真剣に演奏していて、盛り上がりも見せたし、なかなかよかったのではないかと思っています。 ピアソラのタンゴからは、ティンパニが新人のヴェルツェルに変わりましたが、 彼の映像が流れるのは、たぶんこれが初めてでしょう。
何はともあれ、夏の夜に相応しい面白いプログラムを楽しませてもらいました。 来年のヴァルトビューネでは、レヴァインが「ワーグナーの夕べ」と題して振るんですよね。 何か、暑苦しい夜になりそう(^_^;)